頭がいい人と悪い人・・人の価値って、それだけなのかな [愚痴]
へこむのにどうしてもチェックしてしまうブログがあります。
よせばいいのに気になるんです。
話題がわからないとか、ついていけないときもありますが、なんとなく読ませられると気に味わうのは共感と反発、そして絶望。
いつもそうなのに、なぜ読んでしまうのか。
たぶんそれもわたしの劣等感から来るものなのかな。
物をよく考える人の話は面白い。
その理論付けが、自分にはわからなくても、自分とはちょっと違っていても、でもそれも人の考える者なのだと思うと読んだり聞いたりするのは面白いです。
頭の回転の良い人や、者をよく知っている人は本当にいろんな事を教えてくれるし、気づかなかった考え方を教えてくれます。
議論系のトーク番組は嫌いです。
面白そうな話を誰かの叫びがすぐにかき消してしまうから。
それは議論じゃなくて罵りあいだと思うから。
新聞で最近のトーク番組を嘆くコラムを読んだ時にもそう思いました。
そのとおりだと。
話が外れました。
そのブログの話ですね。
頭がいいってどんなことかとそのかたは語り尽くしておりました。
正直、あまり理解力のない自分にはわからない言い回しがたくさんあるのですが、知恵と知識を勘違いしている凡人についてのくだりくらいなら共感できたかも知れません。
逆にへこんだのは、頭のいい人は他と違うことを言うが、それは効率も良くて実はいいことなのだという感じのこと。
わたしの頭で言い換えているので、ご本人が見たら訂正したくなるだろうなと思います。
でも、へこみます。
いつも他と違うことを思いついて、それでいて普通の人たちの考えよりもはるかに効率も悪くて意味も無くてというばかな行動を選んでしまう大ばか者ってなんだろうと。
・・・生きる価値、無いのかな・・
多くの凡人のように深く考えません。
普通の人のように暗記もしません。
感情が理性を押し流すことなどざらです。
考えてわからなくなるとすぐに投げ出すんですから・・どうにもなりません。
先人の知恵を理解することは大事だと思います。
共感できますし、もっともだと思います。
確かに理解できたことは忘れません。
忘れにくいし、自然に覚えてしまいます。
でも、わからなくなった時の対処に問題があります。
わかるまでやるなら、頭はよくなります。
何度かやってわからずに諦めたら、そこで終わりです。
わたしが思うのは、基本の頭のよさがどんなにあっても、努力できない者に未来などないということです。
最初にどんなに頭が悪いと言われても、努力でのし上がれるわけですね。
ようは、努力しない者が馬鹿なんですね。
努力が無駄になっている人がたまにいますが、でも、努力したとか、努力するというその姿勢そのものが財産だと思います。
努力できるという自信と、努力する根性があれば、いつかどこかで何かがあったと気に絶対に諦めない。
諦める者は頭のいい者になどなれません。
結局、中途半端な者は社会には必要ないのです。
こんなことを書くと、誰もが思うでしょう。
「努力は誰でもできることで、できない者はやる気が無いのだから同情の余地など無い。」
そのとおりだと思います。
でも、その「やる気」というのを目覚めさせることができるかどうかが命運を分けるわけですよね。
やる気の無い者は同情の価値すらなく、誰も認めてなどくれません。
それでもできる範囲でどうにかこうにか生きていくのは、無様でしょうか。
他者の足を引っ張って守られながらでも生にしがみつくのは迷惑でしょうか。
それでも、生命として生きるのをやめる気にだけはならないのです。
頭のいい人はいると思います。
そうでない人もいると思います。
現在の社会に理不尽が多いのも確かです。
所詮、自分が書いているのは自分に対する言い訳なのかもしれません。
言い訳でもしなければ、自分を保てません。
自分に自信が無いのは自分の責任だけど、それでも自分で自分を見捨てるきにだけはならないのです。
それこそが、わたしの生命線なのでしょうね。






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